2011年6月16日木曜日

サービスの本質

先日兵庫県加古川市にご当地名物「かつめし」を食べに行った。

かつめしとはかつをご飯にのせその上にデミグラスソースがかかったものでそれを箸で食べる。
いわゆるB級グルメというやつだ。

訪れたお店は創業1936年の老舗である「旭食堂」

場所は国道2号線から少し中に入った住宅地の一角。
もはや何屋さんかわからないほど消えかかった看板に昔ながらのメニュー棚。
のれんを潜ると中はいかにもテレビとかで見るような昭和の食堂といった佇まい。
















壁にはもう少しで見れなくなるブラウン管のアナログテレビ
カウンターにはダイヤルを指でまわすタイプの電話機
昭和のにおいがするエメラルドグリーンの冷蔵庫

入ると同時に年配の夫婦が「いらっしゃい」と出迎え
おばちゃんは客席から立ち上がり、ご主人は厨房に入り準備を始める。

かつめし(800円)を注文して、待つこと15分ぐらい
遂にかつめし登場!

 
味はというと・・・普通!!
まあ、かつは薄く、ご飯はやわらかめ。
んでもって結構な重さで最後の方は少ししんどかった。

あげくまだ食べてるのに作り終わった主人は客席でタバコを吹かしながら笑ってテレビを見る始末。
主人もおばちゃんも別に愛想が悪い訳でもないが、絡んでくることもない。


けど、このお店なんか居心地が良い。
別にかつめしがまずいと思わないし、主人の行動も不快にならない。
なんだかんだで1時間ぐらいお店でくつろいだ。

もしおしゃれなカフェとかであれば最低なサービスと罵られることであろう。
しかし、旭食堂ではそれが成立する。

本来、飲食のサービスとは「金を貰って飯を食わせる」これだけだ。
丁寧な接客やおいしい料理、おしゃれな店内といったものは付加価値にすぎない。
ここにはその本質的なサービスだけで後はお互い干渉しない。
その奇麗なまでの潔さが居心地の良さを感じさせた。

今の世の中、サービスの主体が付加価値に集中している。
サービスを受ける側も与える側もそこに意識が行き過ぎているような気がする。
客は満足させられることを気持ちよく感じ、お店は儲けるためにサービスを過剰にしていく。
それは王様と家来ような欲の渦巻く王国が大きくなり続けているようなもんだ。
もちろん、それも大事なことだと思うし、自分自身も王様の一人である。

ただ、旭食堂のようなシンプルなまでのサービスでも満足できる。
ここではどん欲な経済のシステムからかけ離れた対等な関係のサービスがあると思う。
それは最低限の需要と供給であり、いっさいのどん欲さが無い必要最低限でありながら究極のサービスである。




創業1936年の伝統

それは変わらない「かつめし」の味と変わらない「サービス」なのだろう。




御馳走様でした。

2011年5月6日金曜日

東北訪問記③

東北訪問2日目

2日目は、当日でも参加することができるボランティアをよっちゃんが見つけてくれて、そこに向かった。

向かった先は南相馬市災害ボランティアセンター。

9時集合に間に合わず少し遅れて到着すると、既に午前中のボランティアは定員人数を上回っており、昼まで待機することに。

おそらく、ボランティアでできる仕事はたくさんあるが、地域の連帯にも限界があり、ボランティアを運営する側が手に負えない状態であるのだろうと思う。
さらに自分たちのように単身で短期間のボランティアを扱うのは難しいのだと思う。

結局、ボランティアに参加できたのは午後から河原の瓦礫撤去作業で、実質作業に取りかかれたのは2、3時間だけであった。

河原にも津波が逆流してきた形跡がはっきりと残っており、流木や建物の柱、家のドアなど大きな物から、服や毛布やタイヤなどもあり、そこに大量の藁が覆いかぶさっていた。ひたすら瓦礫を拾い、藁をかき集めているとあっという間に時間が経った。

休憩時間のとき区役所の運営局のおばちゃんらしき人が車で見回りをしており、目の前を横切るとき、元気に大きな声で、
「ありがとねー!ありがとねー!」
とかけてくれた。その声はまったく沈んでる様子もなく、近所の河原掃除を手伝う子供に元気に声かけるような感じで、それが逆に嬉しかった。

きれいになった河原を見て達成感に浸るも、その先にはまだ何も手を付けられていない荒れ果てた光景が延々と続いていた。これからもまだまだ多くの人手と時間が必要であると実感した。2、3時間だけだったが、ボランティアにも参加してわかったこともいっぱいあった。

2日間を通し、さまざまなことを知ることができた。本当に来てよかったと思う。
今回の訪問で実感したのは「頑張れ」という気持ちが「頑張ろう」に変わったことである。
気持ちの持ちように過ぎないが、大きなことだと思う。
これからこの経験をもとに自分にできることも継続していこうと思う。
そして、自分の感じたことを関西でも伝えていけたらと思う。
それが被災地の人たちのためになるかはわからないが、少しでも多くの人がこの震災を自分の中に感じ「頑張れ」が「頑張ろう」になるよう変えていけたら良いと思う。














2011年5月5日木曜日

東北訪問記②

この東北訪問の日程

1日目 現地を自分の目で見る。
2日目 ボランティアに参加する。

東北訪問1日目

まずは、午前中仙台市内を視察して、その後広瀬の知り合いを訪問した。

仙台市内は所々ひびの入ったビルやネットのかけられたビルがあったが
いたって普通の光景で、活気にあふれていた。
余震も落ち着いてきて、すでに復興へ向けて歩み始めている活力みたいなものを感じた。

訪問した広瀬の知り合いの方は、暖かく迎え入れてくれた。
少しの時間だったが、震災直後から今までの状況を聞くことができた。













そして、午後はそのまま仙台の沿岸部に向かい、仙台港から名取市、仙台空港、亘理町と南下し、宿泊先の福島市に行った。

沿岸部に進むにつれ、メディアでしか見ていなかった凄まじい光景をこの目で見るのに不安と緊張が大きくなっていった。

そして、その光景が目に入ってきた。

圧倒された。

言葉にならない。

心の奥の方がズシンと重くなる。

車を降りると臭いが漂い、凄まじい光景と人気の無い静寂で異様な雰囲気の中、カメラを持ってひたすら歩いた。

沿岸部の家は基盤だけを残しすべて流され、誰かが使っていたであろう服や食器、椅子、本といった生活用品が散乱し、一画には重機で整理された瓦礫が山のように積んであった。場所によってはまだ整理すらされていない地域もあった。そんな光景が360度何キロも続いていた。
また、少し沿岸部から離れると田んぼに車や船が散乱し、一階をえぐられたような家が立ち並んでいた。違う場所では防波堤が破壊され、陸側になぎ倒されていた。

メディアでいろんな映像を見たが
やはり五感で感じるその光景は何もかもが違った。
ここに来て初めてこの震災を自分の中で感じることができた。


























福島市ではお金を使おうという名目(言い訳)で
旅館に宿泊し、地元の居酒屋に行き、夜の街も徘徊したが、そこでも仙台市と同じように街は元気で、逆に沈んでいた自分を元気づけてくれた。
居酒屋では、その日感じたことを話し合いながらも昔話で爆笑し、一緒に行ったやつらにも元気づけられた。このメンバーで来れてよかったなとも思った。




そんな感じで一日目は終了した。

東北訪問記①

2011年5月1日と2日宮城と福島を訪れた。

同期の結婚式でGWに東京に行くことになり、広瀬に連絡したところ、この訪問を提案された。
すぐに同意したが、考えれば考えるほど最初は行くことが正しいのかどうかわからなかった。

東日本大震災。

西日本の神戸にいる自分は大きな地震もなかったし、震災の情報もすべてメディアでしか見てない。
凄まじい被害の映像や被災者の声、至る所で見られるボランティア活動や「がんばろう日本」の文字。
もちろん、そういう映像で心を痛めたし、募金もした。
でも、なんかどこか他人事でうわべに感じている自分がいて納得していなかった。

だからすぐに同意した。

でも、知り合いがいる訳でもないし、ボランティア団体で行く訳でもない。
野次馬と言われても否定できない。
被災者の人たちと支援者の人たちの邪魔になるだけじゃないのか。
本当に行くべきなのか・・・。

そんな中、友達の一言で「行く」と決めることができた。
それは自分達よりも前に行った人たちの単純な意見だった。
「行けるんなら、行くべきだ。行かないと何も分からん。」
何が正しいのか分からない状況でその言葉はとても説得力があった。

百聞は一見に如かず

現地に行って
何を感じるのか、何ができるのか、
行ったことが正しかったのか、


すべてを見定めることにした。

わんぱくらいふ開設

オープン!!